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アルカトラズ脱獄スイム 旅行記 1998年

藤原充

4時間後には刑務所から脱獄を決行するのだ.だが寒い.本当に泳ぎ続けられるのか.

水着,Tシャツ,トレーナー,ジーンズなど重ね着をしてウェットスーツ,ゴーグルを持ってユニオンスクエアのホテルから海洋博物館へ.早めに着いたのでバッチリ駐車.

パンやリンゴを食べながら日の出を待つ.

明るくなり,だんだん人が集まってくる.チェックインをすると両手の甲に黒マジックでナンバリング.この大会はウェットスーツの着用を推奨しているのでナンバリングは当然手の甲になる.

この大会のためにトライオールスリージャパンに注文したウェットスーツが「オルカ」だ.よく出来ていてバタフライもできる.シャチのようなデザインも良い.できれば水着だけで泳ぎたいが低体温症になっては恐いので仕方無い.

開会のセレモニー.テレビカメラが一台撮影をしている.

ゴールデンゲートスイムという金門橋下横断泳レースを今年は前日にやったので両方出場する人もいるようだ.二日連続とはすごい.私達は旅の計画段階からそれは予定に入れず,昨日は遊んでいた.

みんなで合衆国国歌を斉唱.夜通しの戦闘のさなかも要塞にはためき続けた星条旗を称えた,1814年のアメリカとイギリスの戦争の際に作られたこの「The Star-Spangled Banner」.まわりじゅうの大きな体に一層力がみなぎったように見えた.

さあ,フィッシャーマンズワーフのフェリー乗り場まで行進だ.行進だ.行進だ.

左を見ると・・・なんとアルカトラズは白い霧の中に隠れていた.スタート地点が見えない.おもしろいレースになりそうだ.

フェリーの中で最終準備をはじめる.羽織っていたものを脱ぎ,ウェットスーツを完全に着用し,背中のファスナーをゆっくり閉める.体にキュウッとフィットする.あとはラテックス製スイムキャップとゴーグルを着けるだけ.

フェリーは案外早く停泊した.大会要項には「アルカトラズに着いたら両舷のドアから素早く順に上陸して先導するカヤックの後ろにつけ」とあったが,なんとフェリーは桟橋に着いたのではなかった.みんな両舷から海に飛び降りている.え,飛び降りるの?

それではと,スイムキャップを船上で1枚2枚と被って,ゴーグルを装着して,私はオルカになった.

えいっと飛び降りた.素早く前方へよける.みんな前方へ泳いでゆく.スタートラインははるか前方か.すぐ右にアルカトラズらしき島がある.

おかしいな.みんなどんどん前へ泳いで行く.ひょっとしてもうレースはスタートしたってこと?

どうやらそういうことらしい.

大会要項には「フェリーの汽笛の音が,レースのスタートの合図です」とあるのにこんなスタートなのか.まあ,いいか.行こう.超高層ビル群がはるか前方の霧の中に頭だけ出している.ピラミッドのようにとがったビルが見える.あれはもちろん「トランスアメリカ・ピラミッド」というこの街の金融街にある有名なビルだ.保険会社などが入っているらしい.対岸の地表辺りは一切見えない.あのビルを左前方に置き,ゴールデンゲートブリッジの頭部を右に見て,前方の護衛カヤック群の中を泳いで行けば当分問題ないのだろう.ガイドブックや地図を事前に読み,街のあちこちをざっと見ておいたので良かった.さあ,泳げ泳げ.

アルカトラズ島は合衆国陸軍の砦,軍刑務所などを経て,1933年から連邦刑務所となり,1963年に刑務所は閉鎖された.「アルカトラズからの脱出」「ザ・ロック」などの映画にもなっている.

カリフォルニアといえば,カラッとした暑さの素敵な所といわれるが,サンフランシスコだけは夏でも涼しい所だそうだ.起伏の激しい大地からの暖かい上昇気流と,寒流であるカリフォルニア海流による冷たい空気がぶつかって朝夕に霧が発生するのだそうだ.

街ではTシャツ短パンで歩く人,セパレートの薄いジョギングウエアで走るたくさんの人,長袖シャツとスラックスの人,トレーナー,ジャンパーを着た人などさまざまだ.

前日に長袖シャツのままこの街を出て,車で北東に何時間か走ったブドウ畑の広がるナパ・バレーに行った時には暑くて困った.朝のサンフランシスコと昼の周辺の町では大変な気温差なのだった.

ナパは私にとって今回の旅のもう一つの大事な目的地だ.私の大好きな映画・小説「タッカー」に出てくる三灯式で流線形の美しい車タッカーを見に行ったのだ.フランシス・コッポラ監督,惜しげもなく大切な車を展示してくれてありがとう.Picture:タッカー (JPEG,size:320*240,18KB)

霧の上に頭を出しているビルや橋などの風景でなんとなく方向がわかる.これで合ってる.水温は・・・ウエットスーツから露出している顔と手と足のうち,顔と足が冷たいが想像していたほど冷たくはない.しっかり運動し続ければ心配ないだろう.

水は油臭くはない.最後まで魚は一尾も見なかったし,海底も見えなかったが泳ぐのがためらわれる水質ではないと思う.また,なぜかあまり塩辛くないと思った.薄味.

カヤックが真横に来てなにか叫んでいる.泳ぎをやめて話をきくことにする.もっと左を目指せとのこと.わかった.

時々冷水域に入って体がヒヤッとする.ガンバレ.

潮流を感じる.ベイブリッジの方向への潮流.またある時はゴールデンゲートブリッジ方向への流れ.そして冷水域.呼吸に合わせて何度か波をかぶったがそれほど気にならない.

大きくヘッドアップしてみる.ああ!! 対岸が見えてきた.目印はどこ? うん,あれが海洋博物館だ.まだまだ遠いけどがんばれ.

レース記述書に「アクアティックパークの入口をまっすぐに向かう誰もがゴールデンゲートブリッジの方へ流されるでしょう」とある事をここで思い出さなければならない.右へ流される.右へ流される.

頭を上げてよく見ろ.いよいよアクアティックパークの入り口だ.うまくあの防波堤の狭い隙間を通過しろ.泳げ泳げ.

おかしい.前進していない.右でブレスしてみる.こりゃいかん.右の防波堤が異常に接近している.私の角度が間違っているんだ.修正.泳げ泳げ.

ようやく事態は好転し始めた.私は全力を出していた.そんな努力に対して私の位置はゆっくりとゆっくりと入り江に進入を始めていた.

う〜〜ん.としか書けないような時間が流れて私は入り江の中にいた.疲れた.腕が重い.腕を回せない.運動強度は無酸素の領域に入っていた.乳酸がたまってしまった.もうゴールは見えるのに.

止まるな.腕を動かせ.やがて筋繊維が動くようになりラストスパート.全力を出せ.ここで立ち上がれ.右手を高く上げろ.それに応えて歓声と拍手が涌く.ノリが良い.ありがとう.

こうして私はまたひとつ自分にとって未知のコースを泳いで泳いで完泳することができた.スタート前の緊張感とこの達成感を,この感動を今回も伝えたい.新しい挑戦が終わった.

記録はどのくらいだったのだろう.時計はどこどこ.歩き回って時計を捜す.その時点で57分くらいを刻んでいるようだ.上出来だ.

残念ながらウェットスーツを着ての1時間は気持の良い水泳のひとときではなかった.「オルカ」はよくできたウェットスーツだと思う.長袖でバタフライができる.でもできればこれは着ないで泳ぎたい.あ,首筋が痛い.後日よく見るとひどいひどい擦り傷になっていた.これはウェットスーツだけのせいではなく,二枚重ねのスイムキャップの縁もクセモノだったのだと思う.

ゴールしてみるととても気温は上がっていた.水着1枚でいられた.おそらく今年はとても良いコンディションなのではないだろうか.

何年か前に参加した上野さんがおっしゃっていたようにロケーションは最高だ.とてもエキサイティング.右にゴールデンゲートブリッジ,左にベイブリッジ,正面にはサンフランシスコの丘の町,さらに脱獄不可能と言われた連邦刑務所からの脱獄スイムなのだ.

挑戦し甲斐のあるレースである.

旅から帰って古老に矯正不可能な囚人が収容されていたという監獄の話をしたところ,「アルカトラズとはおもしろき名かな.刑を終えても迎える者はあるか? (引き)取らずとは」とあやしんだ.その夜牢から消えた三人が現れたのでこの旅の話を聞かせ短冊の歌を詠むと安堵して波間に消えて行き,夢から覚めた.

Copyright(C)1998, FUJIWARA Mitsuru.


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