藤原充
四万十川を2.5kmまたは5kmを泳いで下る四万十川水泳マラソン大会に参加した時の書き留め。四国の南側にある高知県その西の端の方に位置する中村市への旅である。
8月4日、高知空港から高知市に着いて、まずさんご店で特産品のさんごを見た。黒珊瑚より白珊瑚、白珊瑚より赤珊瑚が高価であると店員さんに教わる。何軒もはしごして眺めることにする。黒珊瑚も白珊瑚も赤珊瑚もプラスチックと区別ができなくて味気ないというのがわたくしの印象。そういうのよりも白珊瑚と赤珊瑚の間に位置する桃色珊瑚とか、白い部分と桃色の部分が混じりあった模様のさんごが魅力的だ。価格も手頃である。形もいろんな細工がある。動物、植物、おめでたいとされる意匠などなど。イヤリング・ピアス・ブレスレット・ネクタイピン・置物・・・。「どうやって細工するんですか。硬いんですか」これは歯のエナメル質くらい硬くて、歯医者さんが歯を削る道具で細工すると思えばいいらしい。白と淡いピンクが程よくまじりあったかわいらしいものが買えた。そういう珊瑚の細工はとても涼しい愛らしい色合いなのである。
大通りの中央分離帯兼停車場に立って名物の路面電車を待つ。来ない。暑い。さすがに南国土佐は日射しが強い。寺田寅彦記念館へ向かう。高知市街地から高知城のあった丘を越えた向こう側の、静かな住宅街に寺田寅彦邸はあった。
寺田寅彦は「天災は忘れたころくる」のエピグラムで有名な物理学者・随筆家である。明治・大正に地球物理学・地震をはじめ物理学の各分野に業績を残した。関東大震災後、旋風・火災等の調査をした。夏目漱石の『坊ちゃん』や荒俣宏の『帝都物語』に登場する物理学者はまさにこの人がモデルである。
玄関先に俳句ポストを見つけたので記入用紙をいただく。入館すると屋内の光量に目が慣れるまで時間がかかった。陽の光の強さよ。何も見えない。不用意に歩くと転びそうで恐い。職員に案内していただき、最後に一人で長い時間を過ごした。茶室でぼ〜っとしたり、縁側で庭を眺めたりした。
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愚作を投函し記念館を後にする。電車の時間が気になりはじめる。乗り遅れたら大変だ。ここから中村市まではまだかなりの距離があるのだ。
宿では夕食に「あさひがに」という見たこともない形のかにを食べた。そういえば去年は「タビエビ」というエビにびっくりしたっけ。
翌朝。朝食を食べて駅まで歩く。暑い。凄い日射しだ。駅前のレンタル自転車を借りて5km上流の佐田の沈下橋へサイクリング。 蝉の合唱の中で川沿いにくねくねと続く木陰とひなたの繰り返す道を、かごに小さなリュックサックを放り込んで、明日は気持良く泳いで下ることになる四万十川を眺めながら登って行く。時折ダイハツハイゼットなどでわたくしを追い越して行くのは林業のおじさんであろうか、農具の運搬であろうか。前方から大きなリュックを背負った山登りの青年がひとりてくてくてくてく歩いてくる。すれちがう時に彼は会釈をした。予期せぬ暖かい会釈に、サイクリングのお気楽スイマーもあわてて会釈する。川上の山中でいい時間を過ごしてきたのだろうな。
佐田の沈下橋へ着いた。大会のスタート地点となる場所だ。沈下橋は四万十川の見どころである。沈下橋は大水の時は水没する。舗装されているが欄干がなく、ただの板を渡したような形状なので水流を妨げず、 また水勢に破壊されず水没する。車が1台通れる幅のシンプルな橋である。
屋形船の神川(しんかわ)に「昼過ぎに来るから」と予約しておいて、それまでのんびり川でスノーケリング。「ごり」が川底にいる。川原に車を乗り入れキャンプをしている人がいる。他に観光客が数人。カヌーがなめらかに下ってゆく。四万十を下るのが日本のカヌーイストの夢なのだと聞いたことがある。この人たちもいい時間を過ごしてきたのだろう。
大会当日の朝である。手続きをして肩にマジックで番号を書く。レースパケットを受け取る。川底の石におなかをこすらないように付ける防具もある。付けたくない場合は誓約書に記入をする。セレモニーが終わると用意されたバスに乗ってスタート地点へ向かう。 種目は2.5kmと5kmがある。2.5kmコースは具同入田から赤鉄橋までなので具同入田へ、5kmコースは佐田沈下橋から赤鉄橋までなので佐田沈下橋へ向かう。
昨日遊んだ川原だからスタート直後は上手なコース取りだった。流れを良く分かっていたからだ。コース取りによっては浅瀬になってしまうことがある。その時ははだしで小石の上を走る、いや歩くことになってしまう。四万十の川原の石はことごとく丸みを帯びているのでけがはしないけれども痛くて走れやしない。できれば浅瀬は避けて泳ぎたいけれども流れ全体が浅瀬になり水が砂利の間にかくれてしまうようなところもあるのだから川とは不思議なものだ。そこは歩くしかない。浅瀬をやり過ごすとまた深みのある淀みがあったり、速い流れが上流からずっとそうであったかのようにゆたかに流れてゆくのである。やがてカーブにさしかかった。カーブでは内側、中央、外側、曲がり具合で深さ、流れが異なるように思える。コース取りに戸惑う。となりを高知大というスイムスーツの女性が静かに抜きはじめた。きれいなフォームなので見とれる。シャチか潜水艦のような形だ。追い付けない。追い付けない。緑がかった水の中にとけていってしまった。
この大会の頃はたいてい水温が高すぎて水が緑になってしまうそうだ。最後の清流四万十川の水泳大会と聞いて澄みきった水を期待してやってくるとがっかりするかもしれない。四万十は雨でよく増水するので川っぺりに家は建てない。だから木々の緑と水の緑のただ中を泳ぐのだ。
前方を見ると、立ち上がって小走りする人々が見える。そうか、浅瀬か。浅瀬を避けられないか試みようか。あるいは歩くのを最短距離とする上陸を検討しようか。
5kmの種目では途中1か所だけかなりの急流がある。川原は広いのに流れがとても狭くなっているので、わずか10m程度のあいだではあるが、非常に勢いのある細い流域だ。水が逆巻くとはここのことだ。昨年はここに突入した時少しこわくなって抵抗を増してやりすごした。岩に激突したら大変だ。だが今年はここぞとばかりにこの急流をしなやかに泳ぎ抜こうと決めていた。さあ突入だ。ここは重点的に大会役員や船頭さんが見守っている。・・・おぉ・・・クロールじゃなくて伸びの姿勢の方が良いのだな・・・勢い良く・・・水の音だけ・・・気持良く泳ぎ抜けた。なお、言うまでもなく川原を歩けばこの急流を避けることができる。ルール違反ではない。
川底を見るとなにか沈んでいる。住宅で雨どいに使われているねずみ色の直径10cm位の管が長さ40cm位に切られて沈んでいる。水面にひもが伸びていて浮きが付いている。浮きは台所洗剤の空きボトルだ。これは何だろう。実はこの川底の管の両端には金網で細工がしてあって川エビのわななのだ。浮きは回収する時の目印だ。きのう屋形船の船頭さんに教えてもらった。この中には手長エビとか甲殻類がいるのかもしれない。
急に風景が開けて中村市の町並みが見えてくる。ゴールの大きな赤鉄橋も見えてきた。淀みにてこずり、浅瀬をよたよた歩き、急流を思い切って泳ぎ抜いていまゴール。完泳のメダルを首にかけてもらい、閉会式を待つ。
閉会式では遠来賞が当たった。うれしい。
帰りの空港で姿寿司を食べた。酢で締まった魚の中に酢飯が詰めてある。この味にはやみつきだ。
藤原充 齢二十八(当時)
話はこれだけでは終わらない。暮れも押し詰まった12月25日、高知より封書が届いた。高知県俳句連盟ポスト係によると、 わたくしの一句を3か月ごとの選考で『第83回俳句ポスト』特選の六句の中に選んで下さったようだ。掲載された高知県俳句連盟会報と記念品をいただいた。佳作には選者の評は付かないが、特選だからお言葉が書かれている。
「ふだんは観光客で賑わう寺田寅彦旧邸も休館日となると朝から閑かである。 日頃の騒々しさから離れて終日蝉の大合唱である。そんな寅彦邸の休館日 の蝉しぐれに象徴させた盛夏の一日。暑さがじりじり伝わってくる。」俳句を誉められたのは初めてだから、とってもうれしい。これからも精進いたしたいな。