The Honolulu Advertiser 1997年9月2日(火)
写真: 昨日行われたワイキキラフウォータースイムでサン・スーチ・ビーチのスタートラインから飛び出すEグループの選手たち
撮影はホノルルアドバタイザーのJeff Widener
写真:昨日完泳した両足麻痺のエリック・ローダー、左で抱えるのは彼のコーチ、ジョー・ラライキス、うしろはアンドルー・エザー、そしてサイモン・サースク
『最後がやがて最初になるであろう』という。しかし昨日朝の第28回ワイキキラフウォータースイムでは二番手が一番となった.ディフェンディング・チャンピオンであるオーストラリアのマルコム・アレンは二番目にフィニッシュラインを通過したが、しかし彼が正式な優勝者となった。もう一方のオーストラリア人スティーブ・ピューレンはアレンに3秒勝っていたが、参加登録されていなかった。
アレン(24)はサン・スーチ・ビーチからデューク・カハナモク・ビーチまでの2.384マイル(3.84キロメートル)の試練に耐え48分20秒で完泳した。カリフォルニアのセルゲイ・マリニウク(28)と彼もまたオーストラリアのハミッシュ・キャメロン(26)は共にアレンに3秒遅れての2位でフィニッシュした。
この日一番の活躍は女子のディフェンディングチャンピオンを防衛したオーストラリアのステーシー・ガートレル(20)だったかもしれない。ガートレルは総合9位、アレンの24秒遅れ、女子2位のケイティ・アリスウィルソン(27)(テキサス)に4分の差をつけた。カリフォルニアのケイティ・ウェルシュ(27)が3位となった。
「私は最後までずっと男子先頭集団の中にいようと努力しました」とガートレルは言ったが、成績は48分44秒で去年の自身の優勝タイムを8分縮めた。「私のそばに他に女性選手がいるかどうかはわからなかった。でもこのままずっと男性集団と一緒に泳いで行けばばっちりオーケーだと思ってました。」
ハワイのスイマーの活躍は、プナホウ校・オーバン大のジョン・フラナガン(22)がトップで48分29秒総合5位。そして二人のハワイのスイマーが彼の後を追っていた。グレン・ワッテルが48分33秒で総合6位。カール・ラーセンが48分39秒で総合8位。
ハワイの女性スイマーのトップはプナホウ校(現在スタンフォードで競泳)のジョディ・ジャクソン(20)で、53分52秒で女性4位。ハワイ在住のジューン・フォード(54分56秒)とピア・チョック(56分9秒)はともに女性のトップ10に入った。
この日午前9時に大海原に跳び出したのは980人の登録選手。ピューレンは言う。「僕は昨日一日中登録しようとがんばった。今朝もだ。でも僕は、受付係を誰も見つけられなかった。」しかしレース登録員サム・オーコインは、昨日の日曜日は20人の選手を受け付け、スタート前に更に2人受け付けたと言っていた。
1995年の優勝者アレックス・コスティックと1991年の優勝者ボビー・パッテンはピューレン、アレン、マリニウク、キャメロン、フラナガンと共にしっかりと先頭集団にいたが最後の方向転換ブイを曲がってすぐに散り散りになり始めた。
「運が大きくレースの行方を左右する。」フラナガンは、波に乗れるかどうかについて言及する。「並んで泳いでいたのにもう一度見ると15ヤード(14メートル)も進んでいたりするんだ。」
まさにスティーブ・ピューレンはそのようにしてアレンを阻止したのだ。「スティーブは最高の波を捉えた。」とアレンは言った。
メモ: 42分13秒(オーストラリアのダニエル・マクリラン)および45分33秒(カリフォルニアのリサ・ヘイゼン)という、共に潮流など好条件に恵まれた1995年に作られた大会記録は昨日、破ることはできなかった。ヘイゼン(33)は今回53分56秒で女性15位で完泳。
マルコム・アレンはアトランタ・オリンピックで400メートル自由形準決勝に出場、および800メートルリレーのオーストラリア第4泳者をつとめた。
ステーシー・ガートレルはアトランタ・オリンピックで800メートル自由形に出場した。
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