日本泳法

むかいりゅうとうきょううえのもんかれんらくかい

向井流東京上野門下連絡会

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向井流東京上野門下の歴史

 “向井流東京”→“向井流東京連絡会”→“向井流東京上野門下連絡会”への流れは、師上野徳太郎が、昭和34年(1959)東京体育館主催の水泳講習会の中で一般水泳と併せて向井流泳法を教導したことがあゆみの始まりでした。同時に、これを契機として同好会“向井流東京游泳所”と称する最初の組織が発足しています。

 この組織では、昭和38年(1963)に松本貞子が水練証を受ける際に師が授けた対外的のみの教室名称‘向井流水法道場’があったようです。なお、この名称での教室は、昭和48年(1973)に高田馬場ビッグボックスで上野徳太郎が直接向井流泳法を指導する「向井流水法道場」の団体名として用いられることになりました。

 昭和47年(1972)に早稲田大学教授の職を退いた師は、要請に応じて都内の各所で向井流泳法及び日本泳法の指導を開始しています。

 昭和47年(1972)からの東京アスレチッククラブ顧問就任を皮切りに、その指導が「向井流水法道場」・「土曜会」・「潮」(於:高田ビッグボックス)・「雪ヶ谷スポーツクラブ」・「若鮎会」・「錦会」・「潮会」(於:中野サンプラザ)・「千尋会」・「泳友会」などの団体に直接或いは間接的に波紋を拡げていきました。

 師に依る向井流泳法の指導は昭和50年(1975)代後半に至ってなくなりましたが、師が伝えた伝承と薫陶は波紋を受けた団体の中で引き継がれました。

 これらの団体に対して、当時の総称として“向井流東京”と呼んでいたようです。

 平成7年(1995)、師の向井流の伝承を継承した団体組織「向井流水法道場」「向井流水法道場本部会」「雪ヶ谷スポーツクラブ」「泳友会」「向井流水法研修会世田谷」「向井流水法研修会品川」「向井流同好会」と1人の個人で、“向井流東京連絡会”の組織を立ち上げました。

 その後、“向井流東京連絡会”は「向井流水法道場」「雪ヶ谷スポーツクラブ」「向井流水法研修会世田谷」「向井流錦会」「向井流水法研究会」の5団体へと変遷しましたが、発足以降の組織活動では「泳ぎ合わせ会」の実施・『日本泳法12流派総覧』(2001年発行)原稿の作成・「第53回日本泳法研究会 課題:向井流」(2004年開催への取り組み・‘向井流連絡会’結成と参加・『「各流・各派」泳法競技審判要領』(第3版、2004年発行)の改訂作業、‘上野徳太郎没後20年記念事業’(2011年)の実施・「第65回日本泳法研究会 課題:向井流」(2017年開催)の準備作業と発表、などを実施してきました。

 「第65回日本泳法研究会」の発表後、“向井流東京”に発した師上野徳太郎の伝承を持つ団体総称“向井流東京連絡会”の呼称について検討することになりました。

 検討理由は、東京都内の向井流の伝承において、山敷徳次郎による伝承を継承する「向井流山敷会」の存在があり紛らわしいとともに上野徳太郎に依る伝承を守る会であることを明確化することが望ましいと考えたことからでした。

 検討結果としては、総称を“向井流東京上野門下連絡会”として、新たに立ち上げることになりました。

 現在、「向井流水法道場」「向井流水法研究会」「雪ヶ谷スポーツクラブ」「向井流錦会」の4団体によって組織が構成されています。

向井流連絡会
向井流連絡会が、2004年の第53回日本泳法研究会、2017年の第65回日本泳法研究会「課題 向井流」で発表を行いました。
2017年の第65回日本泳法研究会「課題 向井流」で向井流は、上野徳太郎門下、岩本忠次郎門下、山敷徳次郎門下の泳法・特徴・違いを明確に示すことができました。
 向井流東京連絡会
向井流東京連絡会は、2010年に「師上野徳太郎没後20年記念事業」を行いました。
 向井流東京上野門下連絡会
このウェブサイトが扱うのはこの部分です。
向井流水法道場 雪ヶ谷スポーツクラブ 向井流錦会 向井流水法研究会

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