昭和47年 | (1972) | 東京アスレチックの顧問であった上野徳太郎先生より、載間文・畑山泰子が日本泳法を学び、その後、載間文が独立、ビックボックスで「潮会」を結成、畑山泰子が指導に当たりました。 |
昭和54年 | (1979) | 載間文が雪ヶ谷スポーツクラブ設立と同時に「潮会」が吸収されました。 |
昭和59年 | (1984) | 中野サンプラザで水泳同好会「潮」を開設し、その中に日本泳法(向井流)を設けて、畑山泰子が指導に当たりました。 |
昭和62年 | (1987) | NHKラジオにて日本泳法を紹介しました。 |
昭和63年 | (1988) | サンケイ新聞に日本泳法を紹介しました。 |
平成06年 | (1994) | 「読売新聞」の「熱中タイム」欄に向井流を紹介。英語のパンフレット「The East」誌に「サムライ・スイミング」の表題で向井流が掲載されました。教室を高田馬場(ビック・ボックス)に移しました。 |
平成13年 | (2001) | 日本スイミングクラブ協会(SC協)の研修会を1年に1回実施(H13年〜H22年まで続く) 畑山泰子引退後教士取得者が指導に当たりました。 |
平成19年 | (2007) | 高田馬場(ビック・ボックス)から国立代々木競技場のプールに教室を移しました。 雪ヶ谷スポーツクラブの泳法教室とともに教士取得者が指導に当たりました。 |
平成21年 | (2009) | 師上野徳太郎没後20年記念事業にあたり、宮田ミチ子が委員として参加しました。 |