藤原充
オープンウォータースイム仲間とおはなしをしていると、見回したら水の上にたったひとり、ずっと遠くに選手がちらほら見える・・・という時に心細くて不安になる、とおっしゃる方が多い。皆さんはどうだろうか。わたくしはそんな時こそワクワクしてくるのだ。まわりに誰もいないなんてこんなうれしいことはない。そりゃ、わたくしも恐いけれど、それ以上にうれしいのだ。わたくしと同意見の人には会った事はない。わたくしは水上入寂願望や漂流願望でもあるのだろうかと時々胸に問う。わたくしはいつか独りで泳いで、疲れたらクラゲのように漂うのであろうか。漂泊の思いやまずひとり三浦海岸へ向かう。そこでは今年もまたクラゲに刺されながらも泳ぎ続け、やっぱり海の中では生きられないとゴールで陸に上がるのであろうか。
1996年8月18日第13回三浦遠泳大会である。今回は3回目の参加だ。道中ところどころ雨、小雨。横横道路あたりで大雨になぐられる。こんな雨でも現地へ行けば雨も止んでいて決行というのがこの大会のいつものパターンだ。かまわず車を走らせる。
94年のワイキキラフウォーターで仲良しになった A さん B さんと再会。この大会には毎年出ているとのこと。
現地では雨は止んでいた。開会式のさなかやっと直射日光を得た。日頃情報交換をしている各地の仲間に会えた。
スタート。大混雑。1周 2km のコースをひとまわり。今年の目標タイムをクリアしている。さらにがんばる。2周目後半、左腕とわき腹にぴりぴりっと痛みが走る。クラゲか!! やられた。
1時間27分53秒、214位でゴールして医療班にクラゲの刺した跡に薬をつけてもらう。「これはクラゲの跡じゃなさそうだねえ」と言われたが、なにか海洋生物に刺されたことは間違いない。左腕が全体に少ししびれている。たいしたことはない。この大会ではクラゲに刺されるのはしかたがないが、もし顔をやられるとあとがつらいであろう。今回は一回刺されただけだからラッキーだ。
車を久里浜へむけてしばらく走らせる。そこはペリー上陸記念碑だ。目の前に小ぶりな久里浜湾を望み高さ10メートル余の堂々たる碑が小さな公園の真ん中に立っていた。こんなに大きいとは想像していなかった。「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」と刻まれたこの碑は、大砲を積んだ帆船と蒸気船で、幕末にペリーとともに乗組員の一人としてやってきたピアズリーが、幕府が倒れ日本開国後明治33年に退役海軍少将として再び思い出のこの地にやってきた時に、この浜になにも記念として残されていないことを嘆き、 翌年米友協会により建立された。第2次世界大戦時にはここも荒廃したが、 現在公園内にはペリー記念館が建設され資料が展示されている。毎年7月14日(または13日)にはペリー上陸記念式典も催されているとのこと。
オープンウォータースイム・遠泳であちこちに旅をして、海に生きた男たちの勇気と栄光の跡を見るたびにわたくしは谷川俊太郎さんの海というすばらしい詩を思い起こす。ハワイでは、オリンピックでも活躍した水泳とサーフィンの神様デューク・カハナモクの銅像、グァムではマゼランの上陸記念碑を見た。海を無事に渡りきるには勇気も知恵も必要。海の上で孤独に耐えねばならない。
君津の坂田漁業協同組合解散記念碑も印象深い。「カイサン」と耳で聞いても海産物があるわけではない。解散記念碑というのはなかなかないものなので見ごたえがあった。ここは海苔の養殖が盛んであったが昭和40年代製鉄会社が進出するにあたり、やむなく論議の後、漁協解散を決意したとのこと。悲しみの記念碑である。
ペリー記念館の職員の方にお話しを聞く事ができた。この公園の前は昔はもっと広い砂浜であったとのこと。三浦遠泳のおはなしをすると、この方もかつてながさわというところから三ツ磯という沖合いの岩場まで40分くらいで泳いで遊んだと教えてくれた。「みついそ、ですか」「三ツ磯。波に削れてもう沈んでしまったろうか」ながさわというのは三浦海岸駅のいくつかとなりながさわの駅の前あたりの浜らしい。三ツ磯は詳しい地図では確かにその沖合いに岩場が描かれておりその名も記されている。現在ではレジャーボートも航行しており、容易にはそこまで泳ぐことを実現できまい。
おっと、そろそろ帰らねば道も混む。海に浸ったまま生きてはゆけぬ。名残りは尽きねど、すっかり晴れ上がった海辺をあとにした。
ま | お |
だ | み |
去 | や |
り | げ |
が | は |
た | 九 |
き | 十 |
海 | 分 |
沿 | の |
い | 完 |
の | 泳 |
道 | 証 |